以前から行きたかった箱根の関所の旅の後編です。
前半部分はこちらでどうぞ
5.箱根の関所の建物の内部
順路に従うとまた、建物の中に入ります。すると、台所に出てきました。
関所で働いている人のご飯を作る場所だったようです。上の吊り戸棚には調理器具が置かれていたそうです。
「湯殿」といってお風呂もありました。しかし、今のお風呂と違って浴槽に浸かるのではなく、たらいにお湯を汲んで湯浴みをする場所だったそうです。
土間には囲炉裏が置かれていて、関所の役人の休憩や食事に使われていたそうです。
実際にお茶のんで休憩している様子です。囲炉裏を囲んでお茶するってなんか良いですね。
物置には書類や布団などがしまわれていたそうです。
こちらの土間にはかまどがありました。
土間には傘や蓑(ミノ)がかかっています。
関所の建物にはお金を払っていない人が外から展示を見られないように幕がかかっています。イメージを壊さないから良い方法ですね。
これは、「人見女」と言われる女性を取り調べるための役人だったそうです。髪の中を調べている様子です。常番人と呼ばれる役人の母親の場合が多いそうです。
関所には、「番頭(ばんがしら)」と呼ばれる関所の責任者1名と、「横目付(よこめつけ)」という番頭を補佐する人1名。ほかに常番人3名、足軽15名がいたそうです。
隣の部屋には武器を展示して旅人への脅しに使われていたそうです。銃や弓があります。
今度は順路に従い反対側に移動します。
途中に昔の立て札を再現したものがありました。
ここは「獄屋(ごくや)」と呼ばれる牢屋です。
関所の通りから丸見えの場所にありました。昔の罪人はこうやって見せしめにされたんですね。
当時の釘を再現した釘を使って建物を建てたそうです。
木の継ぎ方も難しい「金輪継ぎ」と呼ばれる継ぎ方で、この継ぎ方をするとかなり建物が丈夫になるそうです。
こちらにも役人が詰めています。
こちらも建物の裏手には台所がありました。
こちらは足軽の番所で、足軽の休憩室もあります。
戸棚には当時のモノを再現した物が並んでいました。
外には井戸がありました。
裏手は山になっていて、「遠見番所(とおみばんしょ)」と呼ばれる建物があります。古い階段を使っているのか一段一段が結構大きくて大変です。
遠見番所に到着しました。
上からは周りの景色がよく見えます。
遠見番所には拍子木がついていて、これを打ち鳴らして何かを知らせていたようです。
山を降りて足軽番所の前まで戻ってきました。捕縛用の武器の展示もありました。
関所を跡にして、資料館に向かいますが、途中にお茶屋さんがあります。団子なども売っていて惹かれますが時間がないため、資料館に向かいました。
きれいな小道の先に資料館があります。
6.箱根の関所資料館
資料館の前には人形がいました。ちょっとこわい。
残念ながら資料館の中は撮影禁止でした。
資料館には「お玉ちゃん」と「お杉ちゃん」という二人のキャラクターが案内してくれますが、展示の途中でお玉ちゃんという明るくて可愛らしいキャラクターの悲しい過去の説明がありました。
元々、お玉ちゃんは伊豆の漁村の娘だったのですが、漁村が貧しかったため、江戸に奉公に出されました。しかし、江戸での奉公があまりにも辛くて、奉公先を脱出して伊豆に戻ろうとしたところ、箱根の関所があったので、関所をこっそり抜けようと山に入って、関所の柵を越えようとしたら柵に引っかかってしまい、捕まって最終的には死刑になってしまったそうです。
こんな悲しい過去をもったキャラクターっています?
もう一人のお杉ちゃんは当時、伊勢の方で人気のあった歌い手の二人組のうちの一人で、いつの間にか話が広まって混ざって、「お杉とお玉」という二人組の関所越えの話になったそうです。
他にも、当時の関所破りの話がいくつかあって、ある遠江(現在の静岡県浜松市)の農家は関所を越えで山をウロウロしていたら見つかったので「道に迷った!」と言い張ったら逃してくれたそうです。
江戸時代はなぜか「お伊勢参り」と言って伊勢神宮にお参りする人は無条件で通行手形を発行してくれたらしいのですが、その手形を発行してもらったお伊勢参りの人に紛れて関所破りをしようとした人は捕まって死刑になったそうです。
当時の関所破りはかなりのリスクがある犯罪だったんですね。
最後の方に展示してあった当時の旅人の旅グッズは結構面白かったです。小さなそろばんや携帯用の枕なんてものも持って旅に出ていたんですね。
資料館はなかなか楽しめました。
資料館をあとにして関所まで戻ってきました。
和風の雰囲気を味わえる場所なのか結構外国人観光客も多くいました。
箱根の関所結構面白かったです。最近、歴史支所巡りが好きになってきました。歳のせいかな、、、
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