先日、山梨旅行に行ったときに武田神社へ行ってきました。お参りをして、宝物殿を見学してきたのですが、宝物殿にはなんと、あの有名な「風林火山」の旗印が展示されていました。
・武田神社周辺の駐車場
武田神社は車で行っても無料駐車場があるので大丈夫です。甲府駅の北口にある「竹田通り」という道をひたすらまっすぐ北へ、坂を登って行くと武田神社にぶつかります。
ぶつかったあとに左右に駐車場がありますが、今回は左へ曲がり、少し進んだところの駐車場に車を停めました。
・武田神社とは
車を停めて、正面の入り口へ向かいます。周りは水堀があって、多少凍っているところがありますが、その堀の中に白鳥がいました。
近所の小学校が記念事業として、5羽寄付したそうです。あと4匹は見当たりませんでしたが。
武田神社はもともと戦国時代の有名な武将の1人である「武田信玄」が住んでいた居城でした。現在武田神社の周りを囲っている堀はそのときの名残で、本当は2重の堀になっているので、実は外側にもう一つ堀があります。
武田神社は武田信玄が亡くなり、武田家が滅亡したあと甲府の政治の中心は現在の駅前にある舞鶴城へ移りました。
そして、大正4年(1915年)大正天皇の即位に際し、武田信玄に従三位が追贈されたことをきっかけに山梨県民はその徳を慕って、官民が協力して、社殿を造営し武田神社ができたそうです。
武田神社の入り口には、昔はなかった武田家の家臣の、昔の家の場所と現在の地図が比較されて掲示されていました。
大河ドラマの主役にもなった山本勘助の家もあったりして、見ているとなんだかワクワクしてきます。
きれいな朱色の橋を渡って武田神社の境内へ向かいます。
武田神社の全図が掲示してありました。堀の作り方から、戦闘を想定した本拠地であったことが伝わってきます。でも、武田信玄はなぜ城ではなく館にしたのかはわかりません。
誰か知っていたら教えてください。
昔の甲府の絵図と説明が書かれていました。昔は躑躅ヶ崎館と呼ばれていて、館とその周辺の碁盤の目のように整備された町は、戦国時代の大名の規模として第一級の規模だったそうです。
急な階段をのぼると鳥居が見えてきます。
・武田神社の境内
朝早かったからなのか、境内はそれほど混み合っていませんでした。まだ、多少初詣客もいました。
通り沿いではお守りなどを売っていました。
奥の拝殿で、戦国最強と言われた武田信玄公にお参りをします。
お参りをすませて散策していると、昔はなかった能の舞台のような建物ができていました。
・宝物殿
宝物殿に寄ったことがなかったので、寄ってみました。
なぜか入り口にキティちゃんがいたので、山梨にゆかりのあるサンリオからの寄贈なのかと思ったら、地元の石材店からの寄贈でした。キティちゃんが雰囲気を壊すから辞めてほしい。
拝観料は200円だったと思います。残念ながら中は写真が撮れなかったので、写真は無しですが、かなり貴重で面白いものがたくさん展示されていました。
武田神社の宝物殿は大正8年の神社創建以来、全国の武田家関係者からゆかりの宝を奉納してもらっているので、小さい建物ながらも展示してあるものは素晴らしいです。
武田二十四将図や甲州金、武田家の正室が代々持つといわれている小刀。武田信玄の父が京都へ行った時に手に入れた物らしいですが、あまりに切れ味が良くて、死ぬときに一切の痛みがないそうです。武田家の正室は代々、何かあればこの小刀で死ぬ覚悟だったのかと思ってみると、歴史を感じます。
武田信玄が旗印に使った「風林火山」の旗もありました。ただし、いつ、どのように使われていたものなのかははっきりしないそうです。
それよりも、個人的に感動したのが、上杉謙信の旗印に使われていた毘沙門天の「毘」が一文字書かれた旗。上杉謙信が自分を戦いの神様毘沙門天の化身と信じていて、毘沙門天を崇拝していて、自分の旗印に「毘」の文字を使ったのですが、なぜかそんな大切な物が、しかも武田神社にあるという不思議。
その「毘」の旗は、川中島の戦いのときに武田軍が奪ったものだそうです。
川中島の戦いで山本勘助が「キツツキ戦法」という部隊をふた手に分けて、1つの部隊で秘密裏に敵の本体を奇襲する作戦を実行しましたが、敵の上杉謙信はすでに本体を移動させていて、奇襲しようとしたらすでに敵本体がいなかった。だから、その場にあった「毘」の旗を奪ってきたという話で、その時の旗が展示されていました。
そういうストーリーがあると、見ていて想像ができるので、楽しいです。
ほかにも武田家のことが書かれた「甲陽軍鑑」という有名な歴史書も展示されていました。
帰りに「姫の井戸」という井戸があったので、水を飲みましたが、すぐ横に「煮沸して飲んでください」との掲示がありました。ご注意ください。
帰りにまた鳥居をくぐるのですが、そこから甲府盆地が見渡せて、とてもきれいです。
武田信玄も昔は、このように盆地を眺めていたんでしょう。
宝物殿が以外と楽しく、満足の旅でした。