竜安寺に行った後は二条城へ行きました。久しぶりの二条城です。たしか、中学校の修学旅行で来たような気がしますが、やっぱり何年もたつと覚えていないもので、改めてくるとまた違った感動を味わえることがわかりました。
・まずは入り口でチケットを買う
バス停を降りると、目の前に二条城が現れていました。
二条城の前には京都国際ホテルがありましたが、なんだか昔に泊まったことがあるような気がします。
二条城への橋を渡る前に料金を払います。入場料ではなく入城料と書かれていることになんとなくこだわりを感じました。大人は600円で、高校生は350円など学生には優しくなっています。
チケットは自動販売機で購入します。
チケットを購入したら、いざ入城です。
徳川家康も徳川家光も徳川慶喜もここを通って二条城に入ったんですね。
・二条城とは
二条城について簡単に説明。
二条城は徳川家康が西日本の書だ妙に作らせた城です。多分、目的は「西日本の大名たちのお金を使わせること」だと思います。当時、関ヶ原が終わって大阪冬の陣、夏の陣の前の期間なので、徳川家康もほぼ武士のトップにたったと言っても、まだ豊臣秀頼は生きていますし、豊臣側の武将も多い時期なので、西日本の大名たちにお金を使わせて力を弱めるという目的で二条城を建てさせたのでしょう。
ここでは、有名な歴史的な瞬間が何度かありますが、個人的に興味深いのが「徳川家康と豊臣秀頼の会見」と「大政奉還」です。
豊臣秀吉が生きていたときには、豊臣秀吉の配下になり5大老という重要な立場にいて、豊臣秀吉からも「秀頼を頼む」と言われていた徳川家康ですが、豊臣秀吉がいなくなると、徳川の世の中を作るために動き出しました。
そして、関ヶ原の戦いに勝ったのですが、関ヶ原の戦いもあくまでも豊臣家の家臣たちの戦いという感じです。豊臣秀頼は戦いに参加していないし、この時点でも徳川家康は豊臣秀頼に歯向かって敵対したわけではありません。
しかし、そんなときに行われたのが豊臣秀頼と徳川家康の会見で、その会見が行われた場所が、この二条城です。いろんな話があると思いますが、ぼくが聞いた話は、最初は徳川家康の呼びかけで、豊臣秀頼が二条城に来て、徳川家康が同等のたち場で席につこうとしたら、豊臣秀頼が自分は徳川家康より年下だし、朝廷からもらっている位も低いのでと言って徳川家康を上座に座らせたという話です。
世間の認識ではなんとなく徳川家の世の中だということはわかっていましたが、このことは徳川家が豊臣家より上になったということを改めて認識させた事件なのでしょうか?
そして、もう1つは「大政奉還」
徳川幕府になったあと、二条城には3代将軍徳川家光と、徳川家茂と徳川幕府の最後の将軍徳川慶喜が入城しました。
徳川慶喜は二条城の城内で15代将軍職を継ぎました。そして、徳川幕府の最後になる大政奉還をこの二条城で行いました。
二条城は徳川幕府のまさに「始まり」と「終わり」を見守ってきた場所になります。
そのご、1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産に登録されました。
・二条城二の丸御殿
城内に入ると、右手に番所があり、今は人形が置いてあります。また、隣には液晶モニターが置いてあり、二条城の説明が書いてあります。
番所の横を通り、順路に従って歩くと見事な「唐門」が見えてきます。
昔きた時にこんなきれいな門はなかったと思いますが、来ていない間に修復されたのでしょうか? それにしても色鮮やかできれいな門です。どことなく日光東照宮の唐門に似ているような気がします。日光東照宮も二条城も復興や整備に徳川家光が関わっていたというので、何か関係があるのかもしれません。
二の丸御殿が見えてきました。
なんとなくイメージとしては、二条城は城というよりは、接客をしたり政治をおこなったりする宮殿のような感じですね。
二の丸御殿の中は写真撮影禁止なので写真はありません。
二の丸御殿の建物は全部で6棟あって、建物面積は3300㎡、部屋は33、畳は800畳あるそうです。屏風絵がとても見事ですし、他にもところどころに取り付けられている金具なども彫刻が施されていてきれいです。また、厚さ30cmの木の板を使って作られたという欄間の彫刻は立体的で感動します。ここでいろいろな歴史的に重要なことが行われたのですね。
以前きた時にはわからなかったですが、二度目ということで冷静に見ると建物の痛みを感じます。これが、当時のように修復されて当時の姿を見られるようになれば、ものすごい圧倒するきれいさだったのだと想像してみました。
襖絵はかなり重要な美術品ですが、こうやって湿気や光にさらされているとやはり傷んでくるようで、襖絵を模写して模写ができ次第、模写したものを展示して、本物は厳重に保管しているそうです。
・本丸御殿、天守閣跡
二条城の本丸御殿は現在公開されていません。二の丸御殿の周りには二の丸庭園という庭があって、この庭は京都の庭を勉強していると必ず出てくる「小堀遠州」の作だそうです。
天気が良かったので、空が青くとてもきれいでした。
二条城も城というくらいですから、昔は天守閣がありました。が、火災により消失してしまって、そのあとは再建されなかったそうです。
火災で消失したのは徳川幕府の時代で平和な時代だったから、わざわざ天守閣を建てなおさなかったのでしょう。
そのあと、敷地をぐるっと回って入り口の方へ戻ってきました。すこしだけ色づいていてきれいでした。
・展示、収蔵館
二条城を一周して最初の入り口に戻る手前に休憩所とお土産屋がありますが、そのとなりには「展示・収蔵館」があります。
ここは、二の丸御殿に飾られていた襖絵の本物が保存されていて、季節ごとに変わった作品が観られるようになっています。料金も100円なので、せっかくなら寄ってみると良いと思います。
今回飾られていたのは、老中の間に置いてあった襖絵で、3面で「初夏」「秋」「冬」を表した作品になっています。
二条城にはかなり久しぶりに来たけど、楽しめました。いろいろと観て思ったのはやっぱり修復された当時の姿を観てみたいということです。当時はもっときらびやかで豪華な造りだったのではないかと思われます。
日光東照宮の修復後もきれいで、日本の歴史建造物に誇らしさを感じることが出来ました。いつか二条城が修復され、きれいな姿になったらもう一度行ってみたいと思います。
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