東北の旅のメインである中尊寺に行ってきました。
中尊寺は藤原四代や源義経、弁慶などで有名な場所ですが、最近では世界遺産に指定されて有名になったとおもいます。
金色堂は素晴らしく思わず見とれてしまいました。
泊まったホテルが一関だったので、中尊寺までは車で20分ほどで到着しました。
朝早かったので第1駐車場が空いていて、すぐに車を停められました。
ここからは山道です。
結構勾配がきつい道なのでスニーカーなどの歩きやすい靴で行ったほうが良いと思います。子連れだったので、ベビーカーを持っていくかどうか悩みましたが、もし子供が乗らなかった場合にはかなりの荷物になると思い、だったら抱っこすればいいやということでベビーカーは置いていきました。
こういう場所だと砂利道も多いので、ベビーカーが役に立たないこともありますから基本的には置いていっています。
参道の両側には樹齢何年だろうという巨木が立っています。新緑の季節だったので、緑がきれいでした。
途中に幾つか寄り道がありましたが、まずは空いているうちに金色堂を眺めようと思い、さっそくチケット売り場まで。
チケットを購入し金色堂に向かいました。
ちなみによくあるこの写真は金色堂の周りをおおっている「おおい堂」と呼ばれる金色堂を保護する建物で、この中に金色堂が建っています。
実際に中に入るとものすごい美しさでした。すべてが金色に光っていて、彫刻も細かく南方から貿易で取り寄せた貝を使った「螺鈿細工」もふんだんに使われていました。当時の奥州藤原氏の力はものすごかったんですね。
朝早く来て空いていたので、ゆっくりと見ることができました。子供が途中騒ぎましたが、夫婦で交代して1人が外で子守をしたので二人共ゆっくり観賞できました。
奥には昔のおおい堂もありました。
その他のお堂や能舞台などを見たあと、讃衡蔵という宝物館へ行きました。
ここもすごいです。
中でもすごかったのが、金色堂に納められていた藤原氏4代の棺を開けて中にある宝飾品などを展示してあったところ。さすがに遺体はないのですが、中に入っていたものから当時の藤原氏の様子などがわかり、よりリアルに当時の状況を感じることができました。
興味深かったのが刀。ちょっと鎌倉時代の武士が持っているものと違うなと思ったのですが、解説でその形はより北方の民族と貿易をしていて影響を受けていたのではないかと書いてありました。北や南と貿易をするなどものすごい影響力だったんですね。
そんなことを考えていたら、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢のあと」という句が頭をよぎりました。それだけの栄華を誇っていたものが無くなってしまうのはさみしいですが、それでも金色堂が残り世界遺産に認定されたのは素晴らしいことだと思います。
ちなみに、中尊寺の本堂は参道の途中にありますので、忘れずに見ていってください。
坂の下には弁慶の墓と言われているものもありますよ。