戦国時代の武将の中で最強とも言われる「武田信玄」。
その武田信玄の本拠地となっていたのが躑躅ヶ崎館で、現在はその館後は武田神社という神社になっています。戦国最強の武将のパワーをもらうためにお参りに行ってきました。
武田神社の場所は、山梨県の県庁所在地の甲府の中心地「甲府駅」の北側にあります。
甲府駅の北口から歩いて行くことも出来ないことはないですが、基本的にずっと上り坂ですし、30分くらいかかると思うので、電車で来る方はバスやタクシーを使ったほうが良いと思います。
車で来る人には無料駐車場もあるので安心です。
遠くの駐車場がいっぱいだったので、どうしようかとうろうろしていたらなんと敷地内の一番近い駐車場に停めることができました。
本当は堀の外から歩いて来たほうが雰囲気があって良いのですが、まあ、混雑しているし今回は子連れなのでなるべく近いところに停めました。
まずは、お参り。
お参りをすませたら次は宝物殿に向かいます。
宝物殿の前にはなぜか謎のキティちゃんの石像がありました。
館内は撮影禁止なので写真がありません。
ゆっくり見ようと思ったら、やっぱりこういうところでは子供はいろいろ気になってしまうみたいで大人しくしてくれません。バタバタと歩きまわっていろいろとさわろうとするので、それを阻止するために夫婦交代で展示を見学しました。
ここには有名な「武田二十四将図」もあります。結束の強さを象徴するような二十四将図ですが、その後の家臣の裏切りなどによる崩壊を考えるとなんだかちょっと切ない感じになります。
ほかには風林火山の文言が描かれた有名な旗や川中島の戦いでキツツキ戦法が失敗して誰もいない上杉謙信の本陣に乗り込んだ時に奪ってきたと伝えられる毘沙門天の「毘」の文字の旗などワクワクするようなモノが多いです。
館内はそんなに広くないので、さらっと見て回ることができます。
時間があったので、ちょっと敷地内を散策してみることにしました。
すると、躑躅ヶ崎館の説明看板を発見しました。
どうやら現在の敷地とそんなに変わらないようです。
そのまま奥に進んでいくと裏手にでました。裏門に使われていたと思われる石垣もあります。
その先は細い一本道になっていて、道のよこは崖になっていました。
敵の侵入を防ぐように考えられています。
戦国時代といえば城だと思っていたので、昔はなんで武田信玄が城を持たないで、躑躅ヶ崎館という館に住んでいたのかと気になっていましたが、いろいろと調べているうちになんとなくわかってきました。
天守閣のある城というのは斎藤道三が考えて、そこから織田信長などが真似して広まっていったということで、そんなに昔からあるものではないので、天守閣を作るという概念がそもそもなかったのかもしれません。そして、天守閣を作る理由の一つに高いところに上って遠くから敵が攻めてくるのが見えるようにという理由もあると思いますが、躑躅ヶ崎館がある場所は甲府盆地を見下ろす位置にあり、盆地側から敵が攻めてくれば動きがすぐにわかるので、天守閣を作る必要がなかったんじゃないかと思います。
ここに武田信玄が住んでいたんだな〜と感じることができた旅でした。