宗教についての考え 読んだ本の書評

京都で人気の「鈴虫寺」の住職の書いた「てくてく地蔵のしあわせ問答」は現代社会に必要な禅の教えが書かれている

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先日、京都に行ってきたのですが、そのときに寄った「鈴虫寺」で売られていたてくてく地蔵のしあわせ問答を買って読んでみました。

このてくてく地蔵のしあわせ問答には禅の教えを元にした、現代社会の悩みの解決方法が書かれていて、考え方を変えることによって、日常の悩みを乗り越えていくことができる本です。

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・鈴虫寺とは

鈴虫寺とは、華厳寺という禅のお寺で、ここの住職が鈴虫の音を聞いて、虫の命の儚さを感じて悟りを開いたことによって、その鈴虫の音を参拝者にも聞いてほしいと思い、一年中鈴虫の音を聞こえるようにしたことで、鈴虫寺と呼ばれるようになりました。

鈴虫寺では、禅の精神を大切にしていて、参拝者にはお茶とお菓子、そして、説法でおもてなしをしています。ぼくが鈴虫寺へいったときにも説法を聞かせてもらいましたが、すごい人気で40分待ちでした。

住職は、なるべく交通の便が悪いお寺なのに、わざわざ来てくれた人をもてなしたいと思い、お金だけとって勝手に庭を見てもらうお寺に嫌気がさして、訪問者と交流しようと考え説法を始めたそうですが、今では説法が大人気で、ゆっくり話が出来なくなってしまったので、メールでの悩み相談も始めたそうです。

そして、そのメールでの悩み相談も有名になり、そのやりとりが本になったのが、「てくてく地蔵のしあわせ問答」です。

 

・内容

現代社会の人たちが抱えている悩みを、禅の教えを元にして解決していきますが、その回答の見事さには感心します。相談の内容は多岐に渡っていて「恋の悩み」「自分自身の悩み」「家庭の悩み」「仕事の悩み」と章ごとに分かれています。

「恋の悩み」では、

・昔の恋人が忘れられない

・好きな人が同性愛者

・二人に言い寄られて選べない

・恋人が結婚してくれない

・異性が怖い

など、なかなかむずかしそうな恋の悩みにも禅の教えを使ってスマートに答えています。また、ほか章の「自分自身の悩み」「家庭の悩み」「仕事の悩み」では、

・リストラにあい、1人になった

・自分自身の養子に自身がない

・仕事ばかりで家事をしてくれない夫

・離婚したいと言われた

・子供ができない

・子供に障害がある

・気分屋な上司に振り回される

・やる気のない部下

・自分の仕事が評価されない

などの、悩みに納得できる回答を出しています。禅や仏教とは今から考えればかなり昔の教えだと思うのですが、その教えを使ってスムーズに答えられるということは、人の悩みはいつの時代もそんなに変わらないのかもしれません。

住職の答え方はすばらしく、相手の考え、立場、質問の内容などもちゃんと理解し、わからないことは理解しようと努め、そこから最適なアドバイスをしてくれています。質問に対して、「誰かが悪い」などと一方的に決め付けることなく、相手の立場を考えることで、自分の置かれている立場を再認識し、考え方を変えてしまうことで、悩みを解決する方法は素晴らしいと思いました。

印象に残った質問で、「ぼくは正義感が強すぎて、ズルが許せないのですが、そのことが原因で最近友達から距離を置かれている」という質問がありました。

この質問に対して住職は、自分が正しいと思っていることを隠して行動出来ない人が多い中で、あなたのように正直に自分が思った正義のために行動できることは素晴らしいと、最初は褒めていました。

しかし、忘れてはいけない内容として「正義とは実は曖昧なもの」ということを説いていました。正義とは実は曖昧でどちらが正しいかということを決めることはなかなか難しいことだとおっしゃっています。これは、アメリカのイラク戦争など現代社会の問題でも通じることだと思います。

正義は曖昧なものだから「両忘」という考え方が必要だと教えてくれています。「両忘(りょうぼう)」とは禅の言葉で、生死、苦楽、などといった相対的な対立を忘れ、二元的な考え方を脱することだそうです。何かにつけて「禅」と「悪」という対立的な考え方をするから、対立が起こるためであり、その対立を避けるためにあえて「あいまい」なものを「あいまい」なままにしておくことが大切だともおっしゃっていました。

そして、その話の例として力の神様である帝釈天に娘を手篭めにされて、激怒し、一族を率いて戦っているうちに慈悲の心を忘れて天界を追放されてしまった阿修羅という神様の例を出して説いていました。ちなみに、阿修羅はもともとは「正義」の神様だったそうです。

こういった説明がとてもわかりやすく、心に響く言葉がたくさん書かれていました。

 

・鈴虫寺は宗教の本質に戻っただけ

ぼくの考えでは宗教の本質とは「心の病を治す」ことだと思います。悩んでいたり、絶望している人に、教えを説くことで悩みを解決したり、生きる希望を与えることが本来の宗教の存在意義なのではないでしょうか?

そう考えると、新興宗教はホームページを開設して、積極的に悩み相談をおこなったりしていて、ある程度は宗教の本質である活動をしているのだと思います。(そのあと、どうなるかはわかりませんが)

しかし、最近のお寺では、そのような活動がまったく見られないような感じがします。鈴虫寺の住職が言われてたみたいに、観光地のお寺の多くは入場料を払って入り口でパンフレットをもらって勝手に見て回るだけ。お寺が単なる観光地と化しています。お寺の本質とは、「人々の心を救う」ことなのではないでしょうか?

葬式などの宗教行事では、和尚さんの話を聞くこともなくなって、和尚さんはお経をあげたらもらうものをもらって、さっさと帰る人がほとんどです。それで、「お布施が少ない」とか「最近は信仰心が薄い」とか言われても「そりゃそうでしょ」と思います。

鈴虫寺のように宗教の本質である、「心の病を治す」ことに戻れば、檀家は増えるでしょうし、お寺に通う人も増えるでしょう。これだけ「うつ病」になる人がいる世の中なら、精神病院にばかりではなく、お寺でも何かできることがあるのではないかと考えてしまいます。

鈴虫寺のように、教えを世の中にうまく役立ててくれるお寺が増えてくれると、世の中がもう少し明るくなるような気がするのですが。

by カエレバ

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